古代天皇家「八」の暗号−遂に高松塚古墳の暗号を解読

アクセスカウンタ

zoom RSS 何故、水戸光圀は名前を変えたのか?−『古代天皇家「八」の暗号』(畑アカラ)との関係

<<   作成日時 : 2009/09/07 19:02   >>

トラックバック 1 / コメント 0

水戸光圀は、56歳頃、名前を「光國」から「光圀」へと変えました。
『新版 水戸光圀』の著者・名越(なごや)時正氏は、何故、名前を変えたのか分からないと述べています。
では、何故、名前を変えたのでしょうか。

光圀は、『大日本史』『釈万葉集』の編纂(へんさん)に力を尽くしました。
よって、ことのほか文字使用に対しては厳しい光圀であったと思われます。
それなりの深奥な理由があったと思われます。
小生は、『新版 水戸光圀』に書かれてあったこの疑問の箇所を読んいて、すぐに分かってしまったのです。

「圀」の字は、「国とは八方なり」と主張しています。
光圀は、おそらく、天皇家と「八」の密接な関係を知っていたからこそ、「圀」の字に変えたのではないのでしょうか。
天皇家は、「八のデザイン」で保護されているし、願いも「八のデザイン」でなされています。
よって、光圀は、「圀」という字は天皇を象徴しているデザインであると、理解したに違いありません。

光圀は、徳川幕府の副将軍でありながら、「楠公墓碑(なんこうぼひ)」を作って、王政復古(天皇親政復古)を願っていました。
しかし、名前の変更は、暗号であったのです。
今まで、誰もが解けなかった、暗号であったのです。

では、何故、「楠公墓碑」と違って、暗号にする必要があったのでしょうか。

暗号内容を語れない事情があったのです。
初めてこの謎(暗号)を解明(解読)したと、確信しています。

水戸光圀は、天皇に対する崇敬の気持ちを「楠公墓碑」と「圀」の字で表現しました。
石上麻呂(高松塚古墳被葬者)は、天皇に対する崇敬の気持ちを、高松塚古墳壁画で表現しました。

水戸光圀と、石上麻呂(いそのかみのまろ・高松塚古墳被葬者)は、「八の暗号」、つまり『古代天皇家「八」の暗号』で共通しているのです。

※「楠公墓碑」・・・・楠木正成(くすのきまさしげ)に心酔していた光圀は、湊川(神戸市)に「楠公墓碑」を作りました。幕末の志士たちは、この墓にぬかずき、その碑文を読んで発憤する者が年々増加しました。そしてその勢いは、明治維新の達成を促したのです。光圀の祈りが通じたと言えます。

詳細は、『古代天皇家「八」の暗号』(畑アカラ)を読んでいただきたいと思います。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

トラックバック(1件)

タイトル (本文) ブログ名/日時
レイバン サングラス
何故、水戸光圀は名前を変えたのか?−『古代天皇家「八」の暗号』(畑アカラ)との関係 古代天皇家「八」の暗号−遂に高松塚古墳の暗号を解読/ウェブリブログ ...続きを見る
レイバン サングラス
2013/07/03 22:07

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
URL(任意)
本 文
何故、水戸光圀は名前を変えたのか?−『古代天皇家「八」の暗号』(畑アカラ)との関係 古代天皇家「八」の暗号−遂に高松塚古墳の暗号を解読/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる